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です。

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2月25日。
夢と現実が逆転している。頭が狂いそうになる。コンピューターならフリーズする。

心の中でヒーロー物を真似る。自分の胸を叩いて「あいつは俺達の中にいる」と言う。歩み出て強くうなずく仲間達。心ではわかっている。心が苦しいことこそ「あいつ」が心の中にいる証。常に共にいる証。しかしその一方でおもかげを捜し続ける。
あれからもうすぐ1ヶ月たとうとしている。次第に現実が押し寄せてくる。大きな恐怖がやってきた。逃げられない現実。流れ続ける時間。

外に出るといつも見えたオリオン座。
泣かないで きみには ぼくがいるぜ
夜空には あんなに 地震雲
左手を見上げるとひしゃく星。
ぼくのゆくところへ ついておいでよ

地域はどんどん住み難くなってきた。
他人の痛みがわかる心優しいお年寄りが随分減ったせいかもしれない。
いがみあうことしか知らない時代が近づいている。
戦前戦時中を知っているお年寄りは地域の宝だった。
地域は崩壊し始めている。
小さくみみっちく寛容さがない。
助け合う喜び,許し合う心強さを知らない。
<<バテンカイトス>> とうとう達成
399時間になった。
とうとう「潤いさらさらヘア」が出現した。
これでマグナスコンプリート達成である。
嬉しい。嬉しいけど…。
喜びを伝えたかった相手はもういない…。
いつもならキラキラした目で「なんだかわからないけど嬉しそうだねぇ」と言ってくれた。

先月最後の記事で「このコーナーでできる企画を何か始めるとか…。」と書いてあった。候補としては手持ちのゲームサントラの紹介などを考えていた。まさかこんな悲しい記事を"連載"することになるとは思っていなかった。
「バテンカイトス」は387時間になった。
シャンプーはまだ変化しない。
なぜだろう。
今日は19日。大きな発作を起こした日から,19日が来るごとに,1ヶ月,2ヶ月,と数えていた。なんの根拠もなく,きっと3ヶ月もてば当面の危機を脱出したと考えても良さそうだ,と考えた。
確かに11月19日の発作は「このまま死んでしまうかもしれない」と思うほどだった。ネットで検索してみると,もし最悪なら,もって1週間の病状なのかもしれない,という恐怖があった。
しかし人間とは滑稽なもので,ちょっと状況が好転するとすぐに根拠のない「プラス思考」にとりつかれるのである。最良の場合ではなく最悪の場合を考えていれば,もっと1日1日を大切に過ごせたかもしれないのに。
3ヶ月目。この日まできっといてほしいと思っていた3ヶ月目。

こんな夢をみた。
元気に歩き回る2頭を前に,人間のお布団が敷いてある部屋に入れて良いかどうか悩んでいる。
場面が変わり,黒をお風呂に入れて洗っている。気持ち良さそうなかわいい表情。最近はここが白かったな,若い頃はここは黒かったかな,などと思う。
洗っているうち,いつの間にか黒の姿がまだミルクを飲んでいた頃の大きさに変わっている。(夢の中では姿や状況が不安定で刻々と変化していくのはよくあること。)そのうちなぜか母と茶もお風呂場にいる設定になる。私は2匹一緒では手が回らなくて危険だと思い,ひとまず黒をふところに抱き,両手で茶を抱き上げて母に手渡した。そして床を見るとふところにいるはずの黒が床の上で横になっている。焦って両手で持ち上げようとするがぐったりしている。まさか。そんな。大きさは子犬だったが,その姿は,現実で呼吸が止まった時と同じだった。その小さな身体をなでながら,「どうしてしんじゃうの」と泣き叫んで目が覚めた。
現実が重なり「どうして(また)しんじゃうの」「(またしなせてしまった)」というニュアンスも含まれていた。
最初は幸せそうな雰囲気の夢だったのにこんな結末になって目覚めたのは苦しかった。
いつもなら悪夢を見ても,起きて黒に会うとホッとして現実に戻れた。この子がいなくなったらどうなるのか。考えてみたことはあったが想像がつかなかった。こんな日々が待っているとはとても想像力が及ばなかった。「つらいだろうな。」「死にたくなるだろうな。」くらいしか想像できなかった。しかし実際はそんな単純な状況ではない。とても説明できない。
なぜこんな夢を見たのかは私自身には痛いほどわかっている。
夢解きや心理分析など苦しみの中では無意味である。死とは何なのか。生きてるって何なのか。こんな平ったい質問の答えはわかってるようで誰もわかってない。死んだ後どうなるのか。死ぬ直前はどんな気持ちなのか。痛みや苦しみはあるのか。意識はあるのかないのか。流れていった時間はどうなるのか。消え去ってしまったのか。誰も知らない。宗教も哲学も妄想も,こんな時は救いにならないとわかった。
「バテンカイトス」の電源入れっぱなし作戦は353時間になった。
シャンプーはまだ変化しない。

わしはまた1つ歳をとる。
そんなのどうでもいい。すっかり忘れていた。それより19日の方が大事だった。
私の命を犬にあげてくれと毎日毎晩のように願っていた。
犬が一生苦痛なく安らかに過ごせるようにしてくれと願った。
私の命にはそんな願いと引き換えにできるほどの価値はないと神さんは言った。
今日は黒の夢をみた。あの日からちょうど2週間の今日。
ほんのワンカットだったけど,かわいい黒を間近で見られて嬉しかった。
あの日のことを思い出し,懺悔し,布団の中で合掌した。
2週間前。どうしてあの日に限って家族はあんなだったのだろうか。
よりによってどうしてあの日に限って。
せめて別の日なら。せめて別の日だったなら。

風が吹き荒れている。
1年でもっとも風が強い2月。
風が強ければ強いほど「ああ黒がきた」と思える。
私は子供の頃から強風が怖くてたまらなかった。
怖い夢の代表格に竜巻があった。
でも今は恐怖心に混じって不思議なものを感じる。
風を怖がることはない。
家が揺れればそりゃ怖い。
でも黒だと思えば怖くない。

会えるのは何年後だろうか。
うまけりゃ数年で会えるかもしれない。
下手すりゃ70年後くらいかもしれない。
本当は今すぐ会いたい。
黒と同じ病気で死にたい。
どこが苦しくて,何がしたくて,どうしてもらうことを望んでいたのか,
同じ病気になれば,少しでもわかるかもしれないと思う。
その後「バテンカイトス」の電源入れっぱなし作戦を再開し,341時間になった。
シャンプーはまだ変化していない。
あの日からもうすぐ2週間。またあの日曜日が近づいて来ます。日曜日が来る度に思い出さずにはいられなくなるのかもしれません。年末年始は元気に過ごせたこと,会社が潰れそうで家族がカリカリしていてつらかったこと,異変に気付いていたのに早く病院に連れていってやれなかったこと,プラス思考に逃げようとしたこと,屋根の雪が落ちる音が怖かったこと,日曜日に倒れたこと,そして夜,午前,正午…。

過ぎていく日数を数えていくのは悲しいばかりで,生後2週間の時はどんなだったか,考えてみました。

子犬の頃はとにかくよく動物病院に行っていました。幼犬特有の寄生虫がひどく,小さな身体で入院もしました。あの頃は今ほど酷い不況ではなかったからこそ出来たのだと思います。
しかしそれほど病院へ通っても結局,どこが悪いのかはわかりませんでした。
不安に泣き喚く子を病院に置いていくのはつらかったです。「とにかく生きてほしい」「育ってほしい」の一心でした。
後から思えば入院の心細さがあの子達の心に「1人にしないで」という不安や恐怖症を生んだのかもしれません。それとも捨てられた恐怖が無意識に染み込んでいたのかもしれません。
出掛ける時など,留守番が2匹ならあまり心配しませんでしたが,今は一人ぼっちの留守番になるのが不安です。

最初の1年はぐんぐん増えていく体重に成長を喜んでいました。
生後2週間の記録はこうなっていました。
・生後7日「黒580g,茶520g」
・生後14日「黒960g,茶800g」
捨てられていた日を誕生日にしています。捨てられていたのはおそらく生後1〜3日くらいだろうと推察されましたからさほど誤差は大きくないと思うのですが…。
それから,最初にした「うんち」から推察すると捨てられる前に母乳を飲んでいたようです。母乳は免疫を与えるので,人間が親代わりになって育てる場合には,母乳を1度でも飲めた場合と飲めなかった場合とでは命の危険度がだいぶ変わるらしいとのことでした。
この子たちの親はどんな子(犬)なんだろう,どんな犬に成長するんだろう,という成長の楽しみと,素人が親代わりをしている訳ですから,突然死の恐怖とが入り混じっている日々でした。
この「子育て」がそれはもう忙しくて大変で先代の死の悲しみを紛らわしてくれました。
あの時は「育たずに死んでしまうかもしれない」「せめて大人になるまで」「10歳まで生きてくれたら残りは儲けもん」と祈っていました。そして何時の間にか「二十歳まで生きるんだ」「犬の長寿記録を作るんだ」と自分に都合の良い方向へ次第に気持ちがでかくなっていきました。
1日1日に感謝する気持ちを忘れていってしまったのです。

病院は途中で替えました。子犬のころは新しい病院へ行っていたのですが,母の意見で先代がかかっていた古い病院に変更しました。
それが吉と出たのか凶と出たのかがわからないです。私はちょっとひっかかっていたのです。先代はきちんと通院していたのに助からなかったのですから…。どの病院でも助からなかったのかもしれません。でも「緩和ケア」という面ではもっと手を打てたのではないかと思うのです。それに医師との会話があまり無いのです。
子犬の頃に行っていた病院は若い先生だったせいか話をよく聞いてくれました。一緒に悩んでくれたので診察のあとに後悔することも無かったのです。
やっぱり,私のような内気な人間には,そういうきさくで「よく聞いてよく話してくれる先生」の方が気持ちが楽なのは確かでした。
今の先生もきさくではあるんですが,私の話(犬の症状の説明)を聞いていないことが多く,「それ前回言ったのに診てくれてなかったんですか!?」と心の中で叫び声を押し殺し,また私にとっても先生の質問の趣旨がよくわからずトンチンカンな返答をしてしまいがちです。答えている途中で遮られてしまったり。答え方が悪いのか,いつも後悔と自己嫌悪と苛立ちに押し潰されてしまうのです。
「人間のお医者さん」も昔は皆こうだったのかもしれません。会話が噛み合わず意思の疎通ができないというか…。私ももう13年以上のお付き合いになる訳ですが,根本的に,引っ込み思案な私との相性が良くないのかもしれません…努力はしてるんですが空回りするだけです…。きっぱりと「ここと,ここと,ここを,診て下さい!」とか「それは何ですか!?」とか,言える人なら良いのかもしれません。

前回「ゲームの話とは"あまり"関係ありませんが」,と書きましたが,それは,全く関係がないわけでもないからです。
ただただ懺悔の気持ちです。
すみません。ゲームの話とはあまり関係ありませんが,もうしばらく書かせて下さい。

2月9日。人間なら初七日にあたるのでしょうか。8日と9日はつらかったです。1週間前の今頃…あの時ああすれば…こうしていれば…と時計を見ては悔やみます。
そして無情に過ぎて行く時間の恐怖がありました。一緒にいた日々との距離がどんどんひらいていってしまう…,これからは,1週間前は…と思い出しても,そこにさえもういない日々が訪れるのです。
今日(10日),目が覚める直前に見た夢です。犬の名前をがないと説明しにくいので仮に茶と黒と書きます。(黒い毛の子が亡くなった犬です。茶色い毛の子は黒よりも先に病気が発見され療養生活が始まっていた犬です。その辺りのいきさつは過去記事にあります。)
夢の中,茶の間に2匹ともいる気配。特に黒が若い元気な頃の様子でテーブルに飛び乗ったのですぐに視界に入る。私はとっさに黒にとびついてしっかりと抱え感触を確かめる。「もう絶対に…」(「どこにも行かせない!」だったか「はなさない!」だったか,そんな風に)と思う。生前は,もし目の前でテーブルに乗ったら「こぉれ!」とお叱りの場面になったと思うが(実際には乗ったことはなかった,まぁ見てない時に何をしていたかはわからないが)夢の中の私はただただ黒を抱きしめられる喜びを噛み締めていた。
次のシーン。テレビの前で2頭と一緒にうずくまっている。テレビには地震予報(現実にはないが)が映っており心配しながら見ている。(このシーンと似たことは現実にもあった。地震が起きた時にテレビの前で2頭をなでながら地震速報を見ていたことがある。安心させようとしたのだが本当は自分が怖くて犬のそばにすりよっていた感じ…。)
次のシーンにも黒はいた。これだけ長く消えないのだからもう消えないだろうと安心すると,黒は廊下の奥へ行って丸くなった…もちろん離れないように私もピッタリ着いて行く…丸い背中は最近の痩せた姿のようだった。
次のシーン。台所。茶が茫然としている。淋しそうな…怯えているような…なんともいえない切ない表情。私は辺りを見回す。黒はどこにもいない。
目が覚める。
初七日の直後なのは偶然なのでしょうか。
平成21年2月2日。11月19日に大きな発作を起こし2ヶ月余りにわたって闘病生活をしていた愛犬が,今日,他界しました。峠をこえてから1時期は元気を取り戻したものの,年明け以降は目に見えて日に日に体力が衰えていき,もう1度倒れたら危ないかもしれない,と薄々感じていましたが,2月1日に再び倒れました。祈る思いで病院に行き処置をしてもらいました。帰宅後,愛犬は頑張って夜通し苦しみと戦いましたが,翌日に亡くなりました。
今はとても悲しくて,私はどうにもなりません。
夢でも見ているようで実感が湧きません。
家の中のどこへ行っても思い出がいっぱいです。どこを見ても姿が見えるようでなりません。もうこの世にいないなんて思えないのです。
愛する存在は,亡くなると確かに「千の風」になるのかもしれません。
いつもそばにいるのに,どこにもいないのです。そして,どこにもいないのに,いつもそばにいるのです。どこにもいなくて,どこにもいるのです。それなのに,どうしてこんなに悲しいのでしょうか。
やっぱりどにもいないのです。どこを捜してもいないのです。
もう一緒に遊べないのです。お散歩にも行けないのです。これからは何回冬がきても,積もった雪の中を一緒に歩き回ったりできないのです。
地吹雪きが吹きつけるほど寒い中をずんずん進んだこともありました。4本足なのに氷の上でスッテンコロリンしたこともありました。猫に忍び寄ったりもしました。
でもそれは元気だったころの話になってしまいました。転んでもへっちゃらなくらいに元気だったころの話です。
歩けなくなる前にも人の目を盗んで台所のごみ袋をやぶってイタズラをしていました。ごみ散らかしはイタズラの18番でした。そんな子でした。それがイタズラっ子だった彼の最後のイタズラでした。
きかんぼうかと思えばみょうにしおらしく言いつけを守る面もあるいじらしい子でした。
私が身体がつらいとなぜかわかるようでそんな時はとても優しい目で癒したり励ましたりしてくれました。
何も書けないと思ったら,書き出してみたらこんなに思い出を書き連ねてしまいました。そしてまだまだたくさん湧いてきます。涙が苦しく溢れてきます。
時間外診療の医療費や11月から続いている投薬代などがあります。正直いって高いです。だから私はもしもの時の医療費にと思いお金をとっておいていたのです。とてもゲーム機につかう気にはなれなかったのです。
それくらいたくさんのいろいろなものを与えてくれました。
ずっと生きていてほしい,それが無理ならせめて二十歳以上で犬としての大往生を…と思い描いていた理想でした。
現実は甘くありませんでした。だけど,それにしても,あまりにも,早かったです。二十歳とまでいわなくても,まだ13歳と1ヶ月ちょいなのです。まだ寿命というよりも病気という年齢に近いと思うのです。
二十歳まで生きてくれたらその時私は40歳を超してるな,にゃはは…,なんていらぬ想像さえした無知で馬鹿な私のせいかもしれないです。本当に本当に申し訳無い気持ちです。
うちに来て幸せだった?,楽しく過ごせた?,飼い主を恨んだことはありませんか?
私はうちに来てもらって本当に嬉しいです。本当に幸せです。1つ屋根の下で暮らした毎日毎日が本当にいとおしいです。
うちに来てくれて本当にありがとう。本当に本当に本当にありがとう。私は思うんです。あなたは天国から来て,天国へ帰る日が予想よりちょっと早く来てしまいましたが,きっともうしばらくはここにいて見守ってくれている,阿呆な飼い主たちに愛をふりまきながら自分の闘病も頑張っているあなたの兄弟のこともずっと見守ってくれている,あなたのあの優しい笑顔を思い出すと,きっとそうだろうと思うのです。
うちに来てくれて本当に本当に本当にありがとう。
また会えるよね。
私がそちらに行くのは何年後になるかはわからないけれど,きっといつかは会えるよね。
その時はそちらに行ったみんなも一緒に会えるんだよね。
その日を楽しみにして,私も,あなたがそうだったように,毎日を精一杯生きていこうと思います。

だけど,こんなに書いても,まだあなたがもういないということが夢の中のようです。目が覚めたら元気なあなたがケロッとしてニコニコしているのではないでしょうか。そして私は安心するのではないでしょうか。でもそれは違う,「夢かもしれない」と思うこと自体がつらい,あなたがいない現実という恐怖に身体が震えている現状です。
誰か助けて下さい。怖くて仕方ありません。お願い,誰も連れていかないで。

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