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理髪師の冒険


山頂の捕虜

13-1

背後に追ってくる存在の気配がある。
私は山を訪れる人々の列に混ざった。

過去の私は迎え撃ち,1人で大勢を叩きのめしたことがあった。
或いはひたすら逃げたこともあった。

今は,逃げようという考えが起きず,立ち向かおうという考えも起きず,
ただどうしたものかと感じながら歩みを進めている。

追ってくる者たちの目的も正体もわからず,知ろうという気持ちも湧かない。
それでも,追われているというわずかな焦燥感を自覚し,
それを表に出さないようにしている。

私は人々のゆるやかな歩みに混ざった。
高齢の人や若い人,病のある人や怪我のある人,家族や友人同士,独りの者同士,
皆と一緒に山の頂上を目指して進んだ。

低い位置には休憩所や売店などがあり,そこを過ぎると下界から離れた。
険しい山ではない。
ゆるい坂道が時々右へ曲がりながら続いた。
頂上までの道は観光のようもので,
唯一難所と言えたのは細くて短い橋だった。

何をまたぐ橋なのか,下に何があったのかは,よくわからない。
高い場所ではなく,深い溝を渡るのでもなかった。
しいていえば泥のような土の上にかかっていた。
橋では人々の歩むペースが落ちた。
追ってくる者がいるとわかっていても,私たちは人の流れに合わせて自然に任せた。
私には2人か3人,彼らの意思で道連れになっている者達がいたが,
彼らもせかしたりはしなかった。
彼らは若く,私は老いた僧の格好だった。
急ごうにも急げる身体でもないことは,彼らや周りの人々にもわかっていたのだろう。
それでも,追ってくる者達との距離が狭まっていることは感じ取れたので,
彼らは歩きながら頻繁に周囲を見回していた。

頂上まで登ると,森に囲まれた大きな湖の前が,巡礼の目的地だとわかった。
湖を祭るように朽ちた飾り物がいくつか点在していた。
人々の行動を見て,私もそれにならって気持ちを集中させた。
目的を達した人々は引き返していくのだったが,
追っ手が迫る気配を感じていた私にはそのつもりはなかった。
飾り物の中に,奇妙な図形があった。
蜘蛛の巣を四角にしたような平面が細い赤い線で表されている。
図形は大人の手のひら二つ程度の大きさで,
私の背よりも少し高さのある黒みがかった石碑のようなものに付属している。
高齢の僧の行動が巡礼者たちの注目を浴びていることがわかった。
私は意識を集中し,右手を強く図形に押しあてた。

白い山の頂が雲海の上に連なっている。
澄んだ空が広がっている。
人々がいる山頂が眼下に見える。

辺りを見回した。
空中の,澄んだ美しい世界だ。
進む道は一本しかなかった。
人一人分の幅しかないその道を,私たちは列になって歩いた。
私の他にも何人かいたのだ。
橋を渡ると向こうに白い病院のホールが見えた。
私たちはそこから出てきた礼儀正しい者達に招かれて進んだ。

白い病院の受付前を案内されて,広い処置室の中の長椅子に腰掛けた。
他にも何人かが処置を受けているのが見えた。
注射や点滴を打たれて意識が薄れているようだった。
私も同じことをされるだろうと思ったが,逆らう気持ちは起きなかった。
ここで終わっても良いと考えた。
ただ,他の者達はどうしたのだろうか。
この病院のどこかに誘導されているのだろうか。
私の所に医師の格好をした男性がやってきた。
私に怪しまれないように良い医師のふりをして,薬を注射する。
以前の血気盛んな私ならひと暴れしてでも皆を助け出し,脱出を試みたりもするのだろう。
今日はそうは思わない。
地上を歩いていた時から,なりゆきに任せよう,受け入れよう,という気持ちだった。
この注射は自白剤のようなものだ。
私から何を聞き出すつもりなのだろうか。
他の皆はこれを注射されて彼らの言いなりになり,そして解放された。
ここへ案内される時,その中の一人とすれ違った。
その表情は晴れやかだった。

薬が注射された。
私は何を自白するのだろう。
心を静かにして呆けた。
医師と看護師が私から離れた。
薬が効くのを待つのだろう。
私は他の者達の真似をして,意識もうろうのふりをした。
心はもうろうとしている。
意識が失われるのを待った。
薬はなかなか効いてこない。
私には効かないのだろうか。
何にも出てこない。
何かが蓋をしているのなら,薬が蓋を開けてくれるのではないか。
代わりに怖さと悲しみに似た感情がこみあげてきた。
私は空白なのだろうか。
医師と看護師が戻ってきて私の様子を診た。
看護師が私の上体を両手で支えて背もたれから離した。
私はだらりとその腕によりかかった。
私が何も言えないのを見て,抵抗していると思われてしまうのではないかと心配になった。
私は薬を受け入れたい。
私には薬が効かないのだろうか。
白い壁しか出てこない。
訴えたかったが,薬のせいではなく,ただ動けなかった。
看護師は私にそっと掛け物を掛けて再び休ませた。
私は医師を見た。
追加の薬を注射にするか点滴にするか選んでいる。
なぜ私を追ったのか,なぜ私を捕らえたのか。
今度こそ意識を失わせてくれるだろうか。

[完]


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