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理髪師の冒険


帰る場所

20-1

敗北を味わった。
私は殺された。
屈辱というより,当たり前だった。
あんな軽率な方法で用心もしなかったのだから。
相手は待ち構えていた。
冷徹な笑みを浮かべ,ためらいもなく私を刺した。
勝ち癖がつきすぎていたのか,平和ばかになっていたのか。
世の中にはコメディーが通じない相手もいる。
いいスパイスになったと考えたら,強がりだろうか。

20-2

日射しの強い荒野に出た。
地面も植物もギラギラしていた。
そこで私はねずみと出会った。
茶色い毛で丸々とした,猫くらいの大きさのもこもことしたねずみだった。
仮にねずみ君と呼ぶ。
本当にねずみの仲間なのかどうかは本人も知らないようだった。
彼は私に通じる明瞭な言葉を話した。
彼が肩にいると,私は生まれ変わったようになった。

20-3

どの船なら乗せてもらえるだろうか,それとも忍び込もうか,奪うべきか,相談しようとすると,
ねずみ君は別の進路を示した。
脱出しようと国の果てまで辿り着いたのが,向きを変え,
敵の手中を目指す。
わざとの寄り道か,本当の迷子か,まだ気後れがあるのか,足が進まず,最初,少し回り道をした。
これまで私は前だけを見ていた。
ねずみ君がそばにいると,周りを見る余裕ができた。
無縁の場所で,無縁の人達が,私とは無縁の戦いを行っていた。
見るだけのつもりが,つい足を突っ込みたくなった。
すると人だかりから助っ人が現れた。
私がやらなくても,そこにはそこの誰かがいる。

私達は街の中へ縫い込んだ。
目的地へ抜ける裏道を覗くと,どこも規制と監視が行き届いていた。
私達は意を決めた。
一目散に,そんなふうに後にした場所を今,目指している。
反撃の快感だろうか,裏をかく快感だろうか,それとも自分に酔いしれているのだろうか。
ねずみ君と手分けして注意をそらす。
快感の正体は,スリルか。
そう,この快感に負けて,笑ってごまかし,そして……。
私はねずみ君を左の背中に乗せた。
ねずみ君は自分でバランスをとって肩によじ登り,ふたことみこと皮肉を言った。
最後にぼそっと投げやりに,背中を押す言葉を私に言った。

20-4

ねずみ君はいつも,愉快なのか不機嫌なのかよくわからない口調で,
不安そうなのだが,その態度はぶっきらぼうで,能天気で楽観的で,慎重だが自信満々で,だいたい何かを見通している雰囲気があった。
ただし,本当に見通しているのかどうかまでは私にはわからない。
お互いに,つまり向こうも私のことをこんなふうに思っているのだろうか,
そう考えた時,ねずみ君の悪態が聞こえてきた。
たしかにそうだ,これは思い上がりだろう。
ねずみ君が合流してこない。
私はそのまま目的地に向かうことにした。

20-5

例の部屋に主はいないようだった。
玄関の扉は半開きになっていた。
6階建ての,ここは二階である。
渡り廊下を抜けて新棟に入ると,階段も廊下も灰色のカーペットが敷き詰められていて,足音を殺すのが楽になった。
建物の中では廊下も室内も共通の室内履きを使用しているようだった。
ついさきほど男を呼び出す放送が流れ,男は悪態をつきながら部屋を出て灰色の階段を登っていった。
すぐに戻ってくるつもりのようだったが,それにしても用心を忘れ油断している姿は彼らしくなかった。
私は部屋に入った。
作業途中だった小型のパソコンが窓際の机の上にある。
窓は少し開いていた。
白いカーテンがかかっている。
カーテンはそよいでいないが,窓から玄関へとわずかに空気の流れがあった。
着替えが置かれたベッドがある。
ベッドの下には大きな引き出しがある。
壁際には鍵付きの書類棚が並び,中央の丸テーブルには書類や記憶媒体が無造作に置かれている。
窓の向こうはベランダで,机の右にあるガラスのドアがその出入り口である。
あの時はきっちりと閉まっていたカーテンが今は開いており,澄んだ青空が見える。
緊張感のない部屋に変わり果てていた。
本当に誰もいないのかどうか,室内を見回した。
時間がないのはわかるが,肝心の,持ち去るべき物が何なのかが思い出せない。
見ればわかるかもしれないと手当たり次第に探そうとしたところ,小さな影が部屋を横切って丸テーブルから机の上に乗った。
何かをくわえている。
それを見た私はすぐさまガラスのドアからベランダに出た。
そしてそっと元通りにドアを閉め,壁際に身を寄せた。
ねずみ君もほぼ同時に窓から出た。
そして一瞬だけ私を見て合図すると,そのまま軽やかに地上へと舞い降りていった。
私はそうもいかないのでベランダの隅にある外階段に向かった。
一度だけ振り返ってあのガラスのドアを見た。
私はあそこで死んだ。
部屋に人が戻ってくる気配がした。
私は忍びのように階段を駆け降り,あとは足音も気にせずに突っ走った。

あの時,私は,脳裏によぎった警告を無視してあのドアを開けた。
好奇心と楽観は常にある。
しかし取り返しのつかない好奇心もあることを知った。

男は異変に気付き,追っ手を手配した。
だが何も取られていないと考え,すぐに引き揚げさせた。
彼がその存在に気付いてすらいないものが私たちの目的だったのだ。
助けを得るのは悪いことではない。
助けはいつもそばにいる。

こんなふうに,わたしは,わたしたちは,導かれているのかもしれない。

20-6

死んだと思った私が生き返った。

私たちは船を手に入れ海に出た。
港の連中の船が数隻迫ってきている。
更に私の脳裏には友好的ではなさそうな者たちがこの船を発見する姿も見えた。
楽しい旅になりそうだ。

[完]


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