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理髪師の冒険


弦楽器

23-1

あなたは風を奏でた。
かつてのあなたはそうではなかった。
かつてのあなたは風に言葉を発した。
今のあなたは風の言葉を受け入れる。

あなたの奏でる弓の音が風の中へと消えていく。
あなたはかつてのあなたではない。
吹き渡る風が,私の心を突き抜けた。
あなたは変わっていない。
あなたはかつてのあなたではない。
あなたの風は変わっていない。
あなたは変わっていない。
多くの人たちがあなたを変えようとしていた。
だがあなたは多くの人たちに守られたのだろう。
あなたは確かに変わった。
あなたはもう風を吹かせない。
あなたは風をその全てに受け入れる。
どんな風であろうと,あなたは心地よく奏でる。
その音は風の中に消えていく。

23-2

『素朴で疑うことを知らない』
本当の私は全ての存在を疑っている。
本当の私は逃げるのが得意。
本当の私は腕力がない。
本当の私は人々を愛せない。
本当の私は素朴で純粋なのに,人々が私を疑っている。
「こっちへ。」
どっちみち,そっちへ進むしかない。
先がどうなっていようとも。
「ここに居て。」
部屋の扉が閉められると,部屋が動き出した。
私は窓から外を見た。
川岸が動いている。
私は扉に走り寄り,扉の小窓から向こうを見た。
どんどん離れていく。
『島に居るのは危険』
とでも言いたげな目をして皆がこちらを見ている。
そんな馬鹿な。
私を島から追い出した。
私ならどうにかできたのに。
皆は無関係を装えばいい。
本当に無関係なのだから。
窓の外を眺めた。
どうすることもできないようで,途方に暮れた。

入ってきた扉とは別の扉から外へ出ることが出来た。
浮島なのか船なのかよくわからない物に乗っていることがわかった。
「大陸へ行くのかい。」
変なイカダから変な人が話しかけてきた。
「海に出ちまうよ。」
岸までは泳げそうな距離にも見えた。
陽気はぽかぽかとしていた。
私が可愛がっていた動物が岸に見えた。

23-3

変な人は河口に暮らす海の民族のようだった。
体格は小柄で民俗衣装も独特だった。
一本のオールを両手で持っている。
イカダにはこれまた独特の色合いの屋形が乗っかっていた。
人の顔なのか何かの精霊なのかわからないが,とにかく顔の形をしていて,
中は茶の間のようになっていた。
川上へ向かって進んでいくイカダとすれ違った。
乗っている人はやはり一本のオールを持っていたが,オールだけが動力とは思えなかった。
辺りには無人のイカダや屋形がないイカダも漂っていた。
人が乗っていなくても流されずに,不思議とその辺りに停滞していた。
「海はあのくらいの船じゃないとね。」
河口に煙突のある大きな船が見えた。
もう一度動物に会いたかったので,岸に寄れないか頼もうとしたところ,イカダが急に速度を上げた。
強い衝撃があって放り出されると,水は思いのほか冷たかった。

船の梯子をなんとか登ったところまでは思い出した。
私達は床に座り込み,大きなタオルを与えられ,
しばらくはそれにくるまって震えていた。

やっと起きたかという会話が周りから聞こえてくる。
休憩室か談話室か乗り合い部屋か,床に座って壁に寄りかかっている人が何人かいる。
振り返ると,奥のベッドのひとつで横になっていたようだ。
イカダの変な人はどこだろうか。
やっと動くようになった身体で通路に出て,窓を見つけた。
周りの視線を気にする余裕はなかった。
船は快速で進んでいた。
変な人が私に気付いた。
変な人はとっくに元気になって,何時間か前か,それとも何日か前からなのか,船の中で活動していたようだった。
温かい飲み物を飲みながら,私にもどうかと尋ねてくれたが,私の身体はまだ受け入れそうになかった。
私たちは窓の外を眺めた。
「そういう時があるものだよ。」
変な人はもう少し休んでろと言ってエネルギッシュに仕事に戻っていった。
見ると船員に指示している姿が見えた。
ついていくこともできず対照的に,私はベッドに倒れこんだ。
部屋の中から,大丈夫なのか,死ぬかもな,という声が聞こえてきた。

ぐらぐらする意識の中で,部屋の中の誰かの,「どうあがいても。」という声が聞こえた。
身体がいうことをきかない。
もう少し休ませてほしい。
私は役に立たない。
動けるようになったら仕事を教えてもらおう。
もう何も追ってこないのだろうか。
島を離れれば追ってこないのだろうか。
それとも追ってくるのだろうか。
あのとき動物の近くにいなくて良かった。
動物と私は無関係だ。
ここの人たちも勿論,無関係だ。
「私たちはそんなにヤワじゃないよ。」
動かない手足,出せない声,遠のく意識。

島の川岸に,動物たちがいた。黄緑色の草の上で,こちらを見ている。
良かった,無事だ。そう思って岸に近づこうとすると,あの子がいた。
私を島から追い出したあの子だ。
動物の背に手を乗せ,こちらをじっと見ている。
そうか,そういうことか。
そこで私は我に返った。
私は客室の机に向かい,動物に手紙を書こうとしていた。
いつの間にか物思いにふけり,意識が遠のいてしまっていたようだ。
私はもう一度便箋に向かって思いを馳せてみたが,言葉がみつからなかった。

一つの時代が終わった。
いつか,いつかがあるのなら。
涙がこみあげてきた。

私は成長しよう。

[完]


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