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理髪師の冒険


走る

24-1

そういえば,よく走っている。

なぜ走っているのか。
追いかけているのか。
追いかけられているのか。
走るのが楽しいからなのか。

雑踏を走りぬける。
誰にも何にもぶつからずに。

かろやかに走れる。
かろやかに舞い上がることもできる。 飛ぶのは楽しい。
でも,走る。

疲れない身体を,知っているだろうか。

24-2

言わなくてもいいことだった。
誰か私に助けを求めたか。
誰も。
いらぬお節介をしたかもしれない。
そもそも私は誰かを助けたのか。
道案内。
でも,思い出してみれば,私も迷っていた。

ここで何かあれば,私は死んでしまうんです,
有難がってほしかったのか,気付いてほしかったのか,
何をしたかったのだろう,何をしてほしかったのだろう。
急いでほしかった。
彼らはいつも死と隣り合わせだ。
だが,死んでしまうかもしれないんです,とは言わない。
彼らにとってそれは当たり前のことだから,普段は忘がちにさえなっている。

人間には,死ぬと天使になるという表現がある。
彼らは死んでも消えない。
それを天使になると表現するのだろうか。
『天使は死んだら人間になるの?』誰かが言っていた。
死んでみなければわからない。
でも,多分ならない。
彼らが死と隣り合わせでも恐怖を感じないのは,
存在が消えないことを心のどこかで理解しているからである。
天使が死を恐れるのは,自分の死を理解できないからである。

死んでしまうかもしれないんです,
皆さんを逃がすためにこの部屋を使いますが,
この部屋で何かあれば私は死んでしまうかもしれないんです,
私はこの部屋に居るのが怖い,だから,急いで下さい,
彼らはあの部屋では死なないが,彼らはそのことを知らない,
もし知れば,人間はあそこに居座ってしまうかもしれない,
しかし彼らは知らなかった,実際,彼らは急いでいた。

なぜあんなことを言ってしまったのだろう。

24-3

あの部屋でのお前はちょっと変わった人間だった。
自分が思っているような姿には見えていないものだよ。
彼らはお前の言葉にきょとんとしていただろう。

余計なことではないかと迷いに迷い,何もしないことの方をいつも恐れた。
お前もそうしてほしいのだろう,お前がしてきたように。

身の危険を周囲に知らせることは罪ではない。
思いがけず感謝を伝えられた時,お前は嬉しくてたまらなかったじゃないか。
その経験がお前の心を支えているじゃないか。

お前を助けたいと思っている誰かがいるとしたら,
お前がどうなってくれることを望んでのことだろうか。

24-4

何かを伝えたい時,天はより効果的な経路を探る。
人間には,直接伝えても伝わらない。
だから,他の存在にメッセージを与え,
その存在から当人に伝えるようにし,
伝えられた当人のみが,あれは天からのメッセージだったのではないかと考えだす。
こんなまわりくどいことが,直に伝えるよりも効果的になることがある。

あの部屋でのお前はちょっと変わった人間だったんだよ。
人は目の前に天使がいるとは思わない。

私が走りぬけるとは誰も思わなかったように。

24-5

なんでもないことだと思った。
それが仕事なら淡々とこなす。
的を絞ったまま,眺めていた。
死ぬ訳じゃない。
当てればいいだけだ。
弓で気が引けるなら小石を拾って投げてみようかと思ったが,それもできなかった。
急にどうでもよくなった。
しばらくターゲットを観察した。
変装して話しかけてもみた。
それから,どこにも属さなくなった。
孤独な者には,気さくに話しかけてくる。

楽しいものだよ。

[完]


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