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理髪師の冒険


緑の木々の中に

3-1

私の心が強くいざなわれたのは,あの穏やかな,木漏れ日の部屋だった。

灰色がかった白っぽい石が敷き詰められて地面になっている。
木陰と木漏れ日と,空からの光とそよ風が,地面に美しい模様を映している。
平らで広い場所。
一本一本が独立し,規則正しい間隔で散らされたように生えている木々。
それぞれの木の根元はその周囲だけ石が敷かれておらず黒い土が見えている。
大きな遊歩道のようでもあり,明るい木々たちの公園のようにも見えるこの一帯の中には,
小屋のように見える小さな住居も点在している。
それらの住居は高床式で,外観はどれも同じような建物だが,
中の部屋の様子は,住人によって様々である。
住居は清潔な白い壁の建物で,庭と呼べそうな敷地の大部分は土になっている。
目隠しや境目の役割もしている背の低い植え込みが住居を囲んでいる。
それぞれの住人はお互いの存在をあまり気にせずに,
ひたすらに自分の仕事をしている。
少なくとも,ある一人の住人はそうだった。

穏やかな木漏れ日の世界だった。
小さな一つの住居に一人ずつの住人が住んでいた。
だが,少しはずれた場所には,大きめの広い住居に親子で住んでいる家族や,
狭い住居に時々よそから客を呼んで賑やかに過ごすような者たちもいた。
そういった者たちの中には,ときおり興味本位で境界の植え込みをくぐり抜け,
独りで暮らす者たちを覗き見するような者たちもいたが,
その住民はほとんど意に介さずに,
机に向かい,ひたすら仕事をしていた。
しかし,あまりに気に障った時には腹を立てて侵入者たちを追いかけたりもした。
そして少しすると,深追いは時間の無駄と言いたげに,そそくさと部屋に戻って,
また自分の仕事にこもるのだった。

3-2

窓からは中の様子がよく見えた。
この住人は,まだ若者と呼べる外見ではあるが,そろそろ中年の入り口あたりか,そんな印象でもあった。
部屋はなりふりかまわぬ散らかりように見えたが,こまめに掃除をして清潔を保っているようだった。
部屋以外の場所は几帳面に片付いているのが対照的だった。
はたからは乱雑に見えても,当人にとっては秩序正しく並べてあるのだろう。
それは,まるでこの住人の知識の源や人生そのものが配置されているかのようでもあった。
もし来客があっても来客は玄関から先へは進めなさそうだけど,
本人は『道』を心得ているようだった。
実際,この住人は敷地内にうるさい侵入者があった時にはかろやかに外へ飛び出し,
そしてまもなく何事もなかったかのように元の位置に座っていた。

そんな風に,いたずらものにからかわれようがお構いなしに,一心不乱だ。
見ていて気持ち良く思えるほどに,全ての力をそそごうとしているように見えた。

しかし,全てを総動員しているはずなのに,死角になっている物陰や,棚の中や,見えてはいても手の届かない所などに,不穏な陰があるようにも感じられて,私は不安な気持ちにもなった。
それでも,その姿に私は,どういうわけか勇気付けられた。

3-3

この巣のような住居から少し向こうには賑やかな家族が住む大きめの住居が木の合間に見えていたが,私にはその家がまるで別の世の中のようにも見えた。
この一心不乱の住人は,時々そこから風に乗って流れてくる賑やかな音にも一切気を紛らわさずに,
自分の仕事をしていた。

この住人は幸せなのだろうか。
『きっと幸せだ,他の誰とも比べることが出来ないくらいに』
私は風に導かれ,庭先にあった一本の背の高い木の上にそっと浮かび上がった。
ここからずっと新鮮な風とさわやかな光を贈り続けることができたら良いと思った。
だが,私は,一箇所に留まることができない。
自分にもいつかはこのような居場所が与えられるのだろうか。
巻きつく衣の,冷たい感触に強くいざなわれながらも,
住居の屋根を名残惜しく眺めた。

信号のそばには不思議な公園があった。
どの家の住人も,それぞれに幸せで,それぞれに一心不乱の人生を送っていた。
間違いなく,あの場所の誰もが幸せだった。

[完]


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