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理髪師の冒険


学校

7-1 噴水のある公園

学校の近くの公園で,女の子につきまとう二つの小さな影があった。
穏やかな薄青い空に白い雲が透けていた。
春の正午ごろのようだった。

公園には所々に小さな建造物があった。
それらは壁と屋根だけがある休憩所のような場所や,子供が遊ぶための建造物などだった。
公園の地面はなめらかに舗装されていた。

この公園は丘の中腹あたりにあるようだった。
丘の高い方へ向かって右手の方向には舗装されている坂道があり,
その坂道は車道と歩道に分かれていた。
文房具店はこの坂道のふもとあたりにあった。
丘の高い方へ向かって左手側の端は下にある細い道路との高低差が大きく,
緑の金網で仕切られていた。
金網の下の切り立っている部分は白いブロックで固められていた。
丘の高い方へ向かって右手の後方には公園よりも一段低くならされた土地があった。
そこには質素な平屋建ての借家が何軒か並んでいて,
公園からも坂道からも簡素な出入り口でつながっていた。
この公園には穏やかな高低差があり,丘の高い方へ向かって立つと左手側が低かった。
右手側の歩道との間にはポールがあり,この公園の門のようになっていた。

低い方の平地には噴水があった。
小さな噴水だったが,やわらかな丸っこい輪郭を静かに保ち続けていた。

小さな二つの影は,あまり背の高くないこの女の子と比べても,かなり小柄だった。
どうやら双子で,男の子のようだった。
彼らには,この女の子にちょっかいを出すのが最近の遊びになっているようだった。
この双子は好奇心旺盛で,興味を持った相手のことを探らずにはいられない危険な存在だった。
探られたくない者にとっては危険な存在なのだ。

双子はこの女の子に対して好意に似た興味を持っているようだった。
しつこくつきまとってカバンや服をつかまえたがるので,
女の子は二人をたしなめつつも,困り果てているように見えた。
二人は身軽だった。
まるで猿のようだった。
だが,二人は常に一緒に行動し,
別々に行動して挟み撃ちにするといったような頭脳プレーはしなかった。
親や教師などには逆らわないのも幸いだった。

7-2 おむすび

女の子は借家に住んでいるようだった。
この女の子は赤い頬が特徴的で,話している相手の目をじっと見つめる癖もあった。
そして,あまり遠慮というものを知らなかった。
女の子は家に入るとすぐにアルミホイルに包んだ一つの小振りなおむすびを持って出てきた。
小さな漬物まで添えられていた。
それは彼女が家族分を多めに作っておいたものの一つだった。
この女の子は丘の上の学校に通う中学生で,
小さな弟たちの面倒と家事の大部分を担っているようだった。

数日前から双子のいたずらは,
スカートめくりどころか服さえもはぎ取られそうな勢いになってきていたので,
子供には慣れているつもりでも,この日の女の子は少し恐怖を感じていたようだった。

7-3 学校

学校は新学期の始めのころだったようで,生徒たちはまだ緊張感と期待感に満ちていた。
教師たちはそれぞれの授業の最初に藁半紙のプリントを配ることが多かったが,
その時に指をなめる教師は著しく不評だった。
そんな教師の一人が,私服のままの生徒を紹介した。
女の子はこの日の朝,廊下で私服の男の子を見かけ,困っているようだったので通路を教えた。
女の子はその子が自分と同じクラスにきたことを喜び,休憩時間のたびに無邪気に話しかけた。
こういった面で遠慮がないせいか,この女の子は教室の中では少し浮いているようだった。
教師が,彼はまたすぐに転校する可能性があるので私服で通うことになる,
と説明すると,教室の生徒たちは少しがっかりした様子をみせたが,
この頬の赤い女の子は特にそうだった。
転入生はそんな周囲の反応はあまり気にかけないようで,
休憩時間には男子生徒から制服を借りて着てみたりもしていた。
制服を貸した生徒が転入生の私服を着たまま授業に入り教師に注意されたが,
事情を話すと,教師は制服を着た転入生の姿を見て納得し,この遊びを見逃してやった。
見逃さない教師の場合は二人は廊下に出されて着替えをし,その間教室には笑い声が広がった。
この転入生は私物をほとんど持ってきておらず,よく他の生徒から物を借りた。
慌しく移動してきたらしく,これから買い揃えるつもりだと皆には答えていた。
女の子は転入生に,学校が終わったら一緒に文房具店に行かないかと申し出た。
転入生がこの日は所持金がないからと答えると,では明日は日曜だからどうかと言った。
そこへ男子生徒が声をかけ,転入生を清掃の担当場所へ連れて行った。
背後に残された女の子を,他の女子生徒たちのうちの何人かが遠巻きに見ていた。

転入生は清掃中に男子生徒たちから学校のことや地元のことなどを教えられたが,
男子生徒たちは女子生徒たちの人間関係には興味がないようだった。
転入生はこの日の下校時に,清掃中に教わった店を見に行くことにした。
丘のふもとで店が視界に入ると,後ろから頬の赤い女の子が声をかけてきた。
女の子は,この日はもともと文房具店に行く予定だったそうで,
いったん帰宅してから出てきたところだと言った。
転入生は,今日は店の場所を確認しに来ただけだから中には入らないと伝えたが,
結局買い物に付き合わされた。
女の子は学校に必要な物を転入生に話して聞かせながら買い物をした。
翌日転入生はそれを思い出しながらこの店で道具を選んだ。

7-4 双子

双子が女の子に,転入生の家を教えてしまったようだった。
女の子が,双子が別のターゲットを見つけたらしいことを感じ取り,
双子の様子を伺ってみた時だった。
女の子がもし新しいターゲットが女性なら忠告して助けたいと考えて,
双子が見張っていた家を訪ねてみると,出てきたのは転入生だった。
どうやら双子の関心は転入生に向いたようだった。
女の子は転入生が出てきたことに驚いた。
転入生の方は女の子の突然の来訪にもっと驚いていた。
そして,少し迷惑そうだった。
女の子はしどろもどろになったが気を取り直して,一応双子のことを警告したが,
男の子なら双子のイタズラくらい大丈夫だろうと考えた。
双子は親の言うことや大人の言うことは素直に聞くから,
困ったら大人を呼ぶといいということも伝えた。
女の子は,双子の興味が転入生に向いたのは自分のせいではないかと思ったが,
転入生が自分の突然の来訪に困っているようだったので,切り出せなかった。

転入生は,公園で双子に追いかけられた日から,
双子が自分につきまとうようになったことを警戒していた。
双子はスパイごっこを楽しんでいるかのようだったが,
その執拗さは不気味にさえ感じた。
相手は小さな子供だ。
だが,だからこそ何をするかわからないという怖さがあった。
転入生は,女の子が家にきたのが家族がいない時で本当に良かったと思い,
早く帰ってほしいという気持ちが笑顔の裏に出てしまったが,
聞かされたアドバイスには助けられた。
双子が彼に対してスパイごっこをするのは一日にほんの一時間か二時間程度だったが,
転入生の心の内は頬の赤い女の子が考えたほど気楽ではなかった。
ある日曜には朝から夕方まで周りをうろつかれたので,
とうとう学校で男子生徒に双子のことを話してみた。
男子生徒は双子の『尾行』にうすうす気付いていたようだった。
そしてその日のうちに,双子の保護者か教師に話してみると言っていた。
すると双子はあからさまには見張らなくなったが,
圧力を受けたスパイたちの好奇心にはかえって火がついてしまったようで,
転入生は少しの間スリル満点の生活を送った。

双子は集めた情報を自宅でファイリングし,それらの情報から推理をする遊びに移っていた。
この双子が持っている直感は,あの転入生を見るとスパイごっこをしたくて仕方がなくなるのだった。
彼らには知らない土地から来た人間がミステリアスに映った。
そのうえ,彼らにとっては女の子と自分たちとの間に割って入ってきた人間で,
しかも,彼女と同じ教室だった。
双子はよく中学校の敷地に潜り込んでいた。
自分たちが進学する年齢になるまでは,とても待てないという心境だった。
見つかって追い出されることもしょっちゅうだったが,
双子は中学生や中学校の教師に声を掛けられることをむしろ喜んだ。
あの転入生は,知らない世界から来た妙な奴で,
憧れの女の子と同じ教室で,しかも私服のままの中学生なのだ。
公園で追いかけっこになった時,あの中学生は自分たちと同じくらい身軽で,捕まえられなかった。
だが,もしも途中で小学校の教師が迎えに来なければ捕まえていたかもしれない。
双子はライバル心を燃やした。

頬の赤い女の子には三人の弟がいて,1人は近所の双子と同い年だった。
双子はこの友人たちにスパイごっこの経過を語るのが楽しみの一つになっていた。
三人はこの報告にはあまり興味がなく上の空で付き合うことが多かったが,
スパイごっこのターゲットの1人だった転入生の話をすると姉が興味を持ったので,
その転入生の項目はなるべく聞くようにした。
双子の報告といえば,転入生が家族とあまり似ていないから『橋の下の捨て子説』だとか,
運動神経は良いけど高い所を怖がるからそこが『弱点』だとか,
おかしくて楽しく聞けるのも姉が喜ぶ理由のようだった。

7-5 運動会

飛び石連休前のある日,女の子は転入生に安心してもらおうと思い,
双子がやっている遊びはこんなおかしなことなんだということを転入生に話した。
転入生は運動会での活躍を期待されていたが,
練習では高い所が苦手らしいことが伺えていた。
だから,女の子は転入生に『弱点』の話はしなかった。
転入生の両親は学校を訪れたことがあったが,
女の子は自分が見た限りでは似ているとも似ていないとも思わなかったと伝えた。
聞き終わると転入生は,本当に橋の下にいたのかも,と言った。
「当たってるなー」
と笑っていた。

転入生は10月の運動会には出られなかった。
彼はいろいろな部活動に興味をもって,ほんのちょっとずつの体験入部をしてみていた。
それで気の済んだ彼は最終的には友人と同じ部に入ると決めていたようだが,
5月の運動会を終えた次の週に,彼が日曜日に引っ越したことを,
教師が生徒たちに伝えた。

7-6 友人

友人は転入生の身軽さを見て,何かスポーツをやっていたのかと聞いたことがあった。
転入生は,時々独りで雑木林などへ遊びに行き,
その遊びの中でもっと身軽になれたらいいと思うことがあるからだと答えた。
なぜ独りで行くのかと聞くと,家や家族から離れたくなることがあるからなのだそうだった。
そういう時は友達を誘うにはふさわしくない時間帯も多いから,独りでぶらぶらと歩きまわる。
山や空が身近に感じる。
人間が自分1人でも他にも生き物たちがいて,自然がまるで家族のような感覚になってくる。
それは家にいる家族とは違う,別の家族のような不思議な感覚なのだそうだ。
そして,そこでなら,誰にもからかわれずに身のこなしの練習ができることに気付いた。
自然は飽きずに何度でも相手をしてくれる。
普段は聞きとりにくいアドバイスも1人でいるとよく聞こえてくる,だから上達も早いのだという。
このアドバイスというのは虫たちの動きや木々からの声のようなものなのだそうで,
それはいわば心の声のようなものなのではないか,と友人は考えた。
でも,覚えた身のこなしを誰かに見せたいと思うこともあるし,
仲間がいれば出来そうな遊びを思いつくと悔しいこともある,
転入生はそう話した。
彼が校舎の中でも至る所を軽やかに跳び回りたがるのはそのせいなのかな,と友人は納得した。
友人は,そんな転入生を相手にしても,高い所では自分が勝てるのがまた良かった。

この男子生徒は,担任教師に対しても,「指をなめるのはやめてー」「紙につばつけないでー」
と軽く言えてしまうような,毒気のない気さくな雰囲気を持っていた。
また,相手が自分から話さないことは追求しないと心に決めていた。
この男子生徒は誰とでも話す人気者だったが,
本人は友人たちからどことなく距離を置かれることがあるようにも感じていた。
5月の運動会に向けての校庭での練習の時,この気さくな男子生徒は,
誰がどの競技を担当するかやどの準備を誰がするかなどの話し合いの中で,
つい客観的な意見を述べてしまった。
それは合理的な内容で1人1人の気持ちを考慮しないものだった。
男子生徒はなかなか進まない練習に叩き台を設けようとしただけだったのだが,
一部の生徒たちからは非常にデリケートな反応を示されてしまった。
彼は,これは困ったなという顔をして,横にいた転入生に本心を告げた。
嘘をつかないのは信頼できるし,人の心に入り込まないのは安心できる,と転入生は言った。
彼は珍しく転入生の本心を聞いたと思った。
そして,そんな風に思われていたことを知って嬉しかった。
彼はすぐに転入生にそれを伝えた。
こんな風におおらかな気持ちで会話できるのは広い空の下で土の上に座っているからだ,
彼はそう思った。
二人はこの練習中ずっと,いつもよりもたくさんくだらない話をした。
何度か教師から注意されたが,そのうち気にされなくなった。
二人が笑いあっていると,他の生徒たちもそれぞれに楽しく話し出した。
この日から,5月の運動会へ向けての練習や準備を,嫌なことはそれなりにあっても,
みんなが楽しくやれるようになった。
このとき彼は自分と転入生が似ていることに気付いた。
心のどこかでよそよそしさを感じることがあったのだ。
とすれば転入生の方も自分に対してそう思っているのかもしれないと彼は思った。
だが,その距離を埋めていく時間は与えられなかった。

7-7

転入生がどこから越してきてどこへ越したのかはわからなかったが,
彼は転校後も,時々ひょっこり姿を現した。

友人は,随分たってからあの転入生が持っていた雰囲気の理由に思い当たった。
彼の性格では,そして彼の立場では,口が裂けてもさびしいとは言えなかったのだろう。
あの練習の日から,男子生徒は人との接し方を省みるようになっていた。
それなのに,ひょっこりと姿を現すたびに,
近くまで来たから寄った,
と言っていた転入生の言葉を,自分は今まで一度も疑ったことがなかったと後悔した。

最初にそれを疑ったのは,頬の赤い女の子の弟たちだった。
彼らは双子が作ったファイルを客観的に見ているうちに,
転入生を小説かなにかの登場人物のように捉えるようになっていた。
弟たちが『行間』を読んで姉に伝えると,姉はそうかもしれないと言った。
だが,もしまた転入生がひょっこり現れたとしても,
本人を質問攻めにする勇気は彼女にはもう無かった。

転入生は自分でも自分が寂しいということに気付いていなかった。
だから,もしも誰かから質問されたとしても,その推察は的外れだと思ったことだろう。
彼が自分の気持ちと素直に向き合えるようになったのは,
友人と同じように,やはり随分あとになってからのことだった。


歴史研究者のメモ

ここに紹介した内容には不自然な点がある。
あなたもお気づきだろうが,誰が書いたものなのかがわからない。
ここに登場している誰かなのか,それとも登場している誰かの知り合いなのか,
あるいは登場している人物たちとは全く関係のない第三者なのか。
私には書き手が意図的に『自分が誰か』を隠したと思えてならないのだが,
知人からは考えすぎだと言われている。

もちろん,この文章を書いたのは私だ。
原文のままではない。

もしこの時代へ行くことができれば,これを書いたのが誰なのかを調べられるかもしれない。
どうでもいいじゃないかと笑われるが,
私のような者にとっては,とても重要なことなのだ。

[完]


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