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理髪師の冒険


白い木偶人形

8-1

川沿いの道で,自動車をよけようと土手に入った小さな女の子が足を滑らせた。
とっさにのばした手はすりぬけてしまい,
転がるように追いかけた。

崖の寸前で手をつかむことができた。
この時,もし女の子が川に落ちたら自分も落ちて助け出すつもりだった。

なぜなのかはわからない。
ただ,とっさにそうせずにはいられない時があり,
もちろん助けるつもりなのだが,死ぬかもしれないならなおさら,
1人で行かせてはいけないと心に浮かぶことがあるのだった。

8-2

どこかの表通りで意識を失ってしまい,
見ていた人達が心配して近くの医療施設へ運びこんだ。

服を脱がされるのではないかと心配したが,
案の定,診察台の上に仰向けにされたその姿は裸だった。

意外にもたくましい筋肉に覆われていたので少し安心した。
だが,不自然な質感の,異様な肉体だった。

白衣の男性がよくわからない器具でその肉体を乱暴に扱うのが痛ましかったが,
男性にも,その助手たちにも,
不自然なその肉体が,ごく自然なものに見えているようだった。
明るい白い光が広い室内を照らしていた。

白衣の男性とその助手たちが退室した。
そして,白衣の男性が1人で入ってきた。
最初の白衣の男性とは体型が違うので,別人とわかった。
男性は意識のない身体の腕や足を針のようなものを使って深くえぐるような動作をした。
それで気が済んだのか,退室した。

診察台の上で仰向けにされている人物が目を覚ました。
その顔がみょうに色白に見えたのは白い光のせいもあったのだろうが,
倒れてからの短い間にそのように変化してしまったようだった。
それは,病み上がりの頼りなさとも,
或いは羽化したての生物の,力強く透き通っている有り様とも似ていた。

人物は上半身を起こした。
すると,肩の肉が裂け,中から白い肩が現れた。
体を包んでいた不自然な筋肉が,服がはがれるかのように脱げ落ちていった。
現れた身体は人間ではなく,人形に似た,どんな感触かはわからないなめらかな白い色をしていた。
戻ってきた男性が,その体がゆっくりと立ち上がるのを,静かに見ていた。

男性は,衣服が山盛りに放り込まれている丸い竹カゴを持ってきていた。
その中から見もせずに適当に取り出して,その性別のない人物に渡した。
だから組み合わせはめちゃくちゃだった。
着る者を選びそうな明るい柄の衣服だったが,
何を着てもそこそこ自然に着こなせる,不思議な身体であることがわかった。

まるで服が同化したかのようだった。
それを見た男性が診察台に戻るようにうながすと,人物は再び診察台の上に横になった。
動き回る体力がないようにも見えたし,
おとなしくしていた方が良いと判断しているようにも見えた。

男性は,室内に据え付けてある何かの装置のような物をいじりだした。
そして,そばのモニターに映し出された人物と会話を始めた。
ノイズの多いモニターの中には,
若くはないが年寄りでもなく,明るく聡明そうに受け答えている女性がいた。

男性はこの情報の倉庫のようなシステムの中に必要な情報が埋もれていないかと考えたようで,
何人かとの不毛な会話をした末に,この女性のデータに出会った様子だった。

8-3

男性が退室すると,出入り口のない奥の方から女性が現れた。
衣装は違っていたがモニターに映っていた女性と同一人物のようだった。
彼女からは診察台の頭側が近かった。
そして楽しそうに独り言を発した。
  困っているようね。
男性に対してなのか,診察台の人物に対してなのか。
彼女は室内を見回してから,診察台に歩み寄った。
そこへ男性が入室してきた。
彼女は男性からは死角になりそうな診察台のかげにしゃがみこんだ。
男性がもう一度装置に近づくと,
彼女はいよいよ愉快そうな表情を浮かべてそれを見ていた。
  私の助けが必要かしら。
男性はモニターの方を見ていた。
どうも彼女のデータが完全ではないようで,いつの時代のどこの人なのかもわからない,
もっとデータはないのか,といった様子で,退室した。
それを見届けると,彼女は立ち上がり,朗らかに発した。
  さあ,行きましょう。
  ここに居たいのなら自由だけど。
彼女は自信に満ちていて誇らしげだった。
その源に久しぶりに会えて嬉しそうだった。
そして,慈しんでいた。
  見つからないように出るほうがいいわね。
  ここに居ても,あなたのことはわからないままよ。
  研究に付き合ってあげるのもいいけど,
  あなたのことを研究されるのは,私としては,あまり喜ばしくないわ。
立ち上がった人物の,その頼りない肩の後ろに優しく手をあてて,うながした。
  このペースでは間に合わないわ。
女性が振り向いた。
  私が入るのもいいわね。
女性はまるで踊るかのように,軽やかで優雅なふうに言った。
その手の中でゆっくりと歩み進む存在のことを心から愛おしく思っているようだった。
女性は笑顔のままで軽く首を横に振った。
  さあ,行きましょう。
  今は私のところへ戻ってゆっくり休むのが良いでしょう。

8-4

その体は木ではないが,木のように見える姿だった。
あの不自然な筋肉も,衣服のようなものだった。
心がしっかりとしていれば,もっと自然な肉体をまとえたのだろうか。

力が抜けて,何かに頼りたくなることがあった。
だが,そんな時でも,意識だけは失わないようにした。
這ってでも,一人になれる場所を探した。

あの日は,そうではなかった。
私は周りにいる大勢の目に気付いていたが,その場にかがみこんだ。
周りの人達が助けてくれるとわかっていた。
大勢の目に疲れてしまったのかもしれない。

私は自分が何なのかがわかった。
正確にはわからなくても,
どういう存在なのかが,
うすらうすらと心の中に伝わってきた。
心次第なのかもしれない。

人と触れ合えば,私の不自然さに気付かれてしまうかもしれない。
私は自然な存在なのだが,人にとってはそうではない。
追求されるのではいか。
あの医師たちがしたように。
人以外の存在たちはそんなことはしない。
助けたい相手を助ける。
だから,この手で抱き上げることができる。

人が相手だと,相反した感情が沸き起こる。
近づきたい。
近づきたくない。
頼りたい。
頼れない。
あの日,私は私を見ていた人たちに身をゆだねてしまおうという気分になった。
そう思いながらも,私はその場に居ることができなかった。

私は今ゆっくりと休んでいる。
どこにも行きたくない。
ここに永遠に居ても良い。
ここで他の者たちの行動を,
それも幸せだ,あれも幸せだ,それもいいんじゃないか,と他人事に思いながら眺めている。
自分はここにうずくまっている。
こういう幸せもあるとみなが知っている。
自分にとっては価値が見出せないものであっても,
それぞれがそれぞれに幸せに行動していることをここの者たちはお互いに認め合っている。

彼女は微笑んでいる。
誰にでも。
  あなたが何者なのかはもう私にはわからない。
  あなたの一部はもうあなたではないのだから。

私がもう私ではないというのは,どういうことなのだろうか。
もともとは誰でもなかった,ここにいるみなのように。


白衣の男性が,
誰もいない室内に戻ってきた。
何の形跡も残っていない。
男性はカゴの中を確認すると,眠るように満足げな,静かで安らかな表情をした。

[完]


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